「カイゼン・ジャーニー たった1人からはじめて、「越境」するチームをつくるまで」を読んで、自分の失敗を振り返る
冒頭にあるように本書はソフトウェア開発の現場の物語になっていて、途中途中で作中の登場人物の解説が入るという形式のもの。 個人的に琴線に触れるような言葉が随所にあって、自分の思想や哲学からしてもいろいろ共感できるところがあった。
読後に「これドラマ化できそうだなー」とか思えるくらいのクオリティで、仲間って大切だなと思った(小並感)。江島の第6感も凄い。
あと、最後のAppendixの解説で「価値」と「プラクティス」と「原則」が纏まっていて読み返したときにとても参考になった。
カイゼン・ジャーニー たった1人からはじめて、「越境」するチームをつくるまで
- 作者: 市谷聡啓,新井剛
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2018/02/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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読後の感想はほどほどにして、自分なりにいろいろやって失敗したなーというのも過去に結構あったことを思い出した。 なので、ささやかに過去の失敗を振り返っておく。あんまり風呂敷を広げて書けないのであくまで個人レベルのものだけ。
毎日ランダムに発生する割り込む業務への対処するために分報を始めた
あまり具体的なことは書けないが、毎日ランダムに発生する割り込みイベントをこなしながらソフトウェアの開発に従事している(今も)。 この割り込みは結構重い作業になる場合があって、割り込みと言いつつも1〜2時間をさらっと奪っていく。 その結果、元の作業に戻った時に「何やってたっけ?」という感じになって、切り替えが結構大変だった。 とある時から個人分報をやるようになったが、あるとき割り込み作業から戻ろうとしたときに読んでも何だかわからないということがあった。
いろいろ考えてみた結果、日報や朝会のように「やったこと」「やること」みたいなことを書くのではなく 「何を考えていたのか」みたいな思考の流れを分報の報に書いたほうが良いのではないか?ということに気が付いた。
以来、分報は「自分の思考を垂れ流すエリア」ということにしておくことにした。 最初結構面倒くさいかと思っていたけど、思いの外続いている。
多分ここからさらに「越境」するには、この自分の思考の垂れ流しをオープンにすることなんだろうけど、 なかなかそこには進まない今日この頃・・・
「許可を求めるな謝罪せよ」で暴走した結果誰もついて来なくなった
この言葉を知った時に「なんて便利な言葉なんだ!」と思って、 とりあえずいろいろと個人的に試すことが多くなった*1 ただし、やりすぎてしまい他の誰もついてこれなくなってしまった。 その結果、自分1人がほとんどメンテナンスすることになってしまった。 そもそも「公開する」や「共有する」みたいな考えを全く持たずにやっていたのが問題だった。*2
「許可を求めるな謝罪せよ」の後に「試みたら共有せよ」という文言まであれば、ちょっと良いかもしれない。